姿勢と動きのよしだ塾

姿勢と動きをデザインする専門家の発信。体軸、体幹についてわかりやすく学べる場にしていきます。

授業参観ならぬ、職場参観を通したカラダづくり

 

夏休みも終わり、ほとんどの学生は学校が始まって、久しぶりに会えた友達と話したりできて楽しんでいる子もいれば、宿題をやっていなくて青ざめている子もいたりと様々だろう。

 

僕自身、小学生となれば15〜20年前にもなる遠い過去だからあんまり覚えてはいないんだけど、年に何回か授業参観とかいうのがあった。

 

授業参観はきっと今もあるんだろうけど、まぁその名の通り親が授業を見に来る定番の行事だ。

 

僕はどちらかというと照れ臭さとかなんとかがあって、親が授業を見に来てもあまり発言したりしないタイプの子だったけど、ここぞとばかりにグイグイいっちゃうタイプの子もいる。

子を持つ親の立場になって思うことは、少しくらい発言しようとしても良かったんだぞと昔の自分に囁きたいということだな。

 

 

余談はこれくらいにしといて、何が言いたいのかというと、子どもの働く場(学校)で働く姿(授業を受ける姿)を親が見る行事があるのであれば、親の働く場(職場)で働く姿(職場での姿)を見る機会があってもいいんじゃないかと、最近になって思ったということである。

 

そう思って、授業参観ならぬ、職場参観についてグーグル先生に聞いてみると、まぁ自分が知らなかっただけで、世の中には実際にやっているところは結構あった。

 

子どもにとって一番身近で最初に出会う収入を得て働いている人は親であり、その親が働いている姿って、これからの未来を担う子どもにとってはけっこう大きな転機にもなると思う。

僕自身、まだ1歳になるかどうかの子どもがいて、別に同じ職業に就いてほしいなんて微塵も思ってはいない(興味を持つなら就いてもいいけど…)けど、働いている姿は見てほしいなーなんて思ったりもする。

それを見てどう思うのかは子ども次第なんだけど、いつも朝早く出かけて夜は遅くて、休日も出張とかでいなかったりして、そんな時一体何をしているのかって一度は見てみたいし、そこからきっと子どもなりに何かを得るんじゃないかな。

 

だから、僕としては職場参観はどんどんしちゃえばいいと思うんだけど、きっと授業参観で親に来てもらうと恥ずかしかったり嫌だったりするのと同じで、子どもに働いている姿を見られて困る親もいるはずだ。

 

「いつも上司に怒鳴られている…」

「家では偉そうにしているけど、職場では同期とも部下ともコミュニケーションが取れていない…」

「こんな姿見られたら子どもになんて思われるか…」

 

自分の働く姿に自信がなかったりすると、職場参観があってもきっと子どもを連れて来たりはしない。

それなら、子どもにも自信を持って見せれるくらい自分の働くに胸を張れるようになったらいい。

そのツールになるのが、僕はカラダだと思っている。

 

僕にとって『働く』というのは収入の有無は関係なく、人生の全てが『人が動く』ことで成り立っているから『働く=人生』であり、大もとになる人の構造がカラダだから、働くを支えるカラダづくりによって、きっと今の働くよりももっともっと前向きになれて自信だって持てるようになる。

 

今、自分の会社で働くを支えるカラダづくりを実践していて、そこには子どもも同伴OKにしている。

最初は、子供がいる人も参加しやすいようにっていう軽い気持ちだったんだけど、子どもからしたら

・親が働く職場を見に行ける

・親が他の社員さんとどんな関係なのか見れる

・親とカラダを通してコミュニケーションが取れる

っていう感じで良い面がたくさんあるんだなって気付いた。

 

もちろん、子どももカラダづくりに参加するんだから、子ども自身の運動機能も上がるし、授業とかの集中力だってあげることもできる。

(ちなみに、僕の仲間、、、というには恐れ多いんだが、同じ志を持った人で、山崎さんという人は、子どものカラダづくりで全国的にも活躍し始めていて、その反応はとても好評だそうだ。)

lineblog.me

 

 

これって、単に職場で働く人の腰痛をなくしましょうとかでは年齢や環境の違いとかで同時に展開するのがなかなか難しかったりするのかもしれないけど、僕が今まで学んできた体軸理論と『働く=人が動く=人生の全てのこと』と定義づけしていることだからこそできることだ。

 

職場参観の対象を子どもとしたけど、別に子どもに限る必要もなく、旦那さんであったり奥さんであったり自分の両親であったり、自分の働く姿に興味を持ってくれる人や働く姿を見せたい人なら誰でもいいと思う。

 

この職場参観が良いのか悪いのかは個人の捉え方次第だけど、僕は絶対に良いものになると思っている。

 

まずは職場で働く方に働くを支えるカラダづくりを通してより楽しく働けるようになってもらって、そこから自分の子どもとか他の家族とかを職場に連れてきて、ここが働いているところだぞ!この人たちが一緒に働いている仲間だぞ!って紹介しながら一緒にカラダづくりを通して家族愛を深めて、そんでもって実際に働いている姿も見てもらって、

「これが親の働いているところか」

「毎日こういう感じで働いているんだ」

「こういう職業楽しそうだな」

「自分ならもっとこんな感じで働きたいな」

っていうのを子どもの時から感じてもらえたら、色々チャレンジする人生のきっかけにもなるはず。

 

と今頭の中で考えていたことを乱雑にではあるが書いてみた。

 

 

そういうのに興味あったり面白そうとか思った人がいたら、勝手にあなたも同志ということにしちゃいます。

 

 

 

 

 

『働く』を支えるカラダづくり

 

7月から今いる会社で『働く』を支えるカラダづくりを社員さんに届けている。

福利厚生の一種という感じで、興味のある人は参加してもらうようなものなんだが、事前アンケートでほぼ全員が参加したいと答えてくれたことはとても喜ばしいことだ。

 

勤務体系上、勤務終了後に時間を設けているため、家庭の都合などで参加したいのに参加できない人もいて、そこはなんとかうまくせにゃならんと思ってはいる。

 

そのなんとかうまくしようと思って取り入れたのが、子どもの面倒を見なきゃいけなくて来れないのなら「子ども連れてきていいよ!子どもと一緒にやれば、自分も子どももなおさら良いぞ!」というスタンスにしたこと。

これはなかなか良さげな反応で、働くカラダづくりの場に子どもがいることが面白そうな感じになりそうだからこれはまた別で話そう。

 

あとは働いてる隙間時間に自分でできるセルフストレッチBOOKなるものを作ったから、それを各事業所において普段は自分で、月1〜2はみんなでカラダづくりやろう、というのが今の流れになる。

 

まぁとにかく参加してくれた方にはまずは働くカラダのための土台で動きやすいカラダを伝えるのだが、わかってはいるけどその反応も良いわけだ。

 

動きやすいカラダは、石川県金沢市福井県福井市敦賀市越前市で開催しているBodyline Schoolでもおなじみで、ちょっとしたことなんだけど誰も教えてくれないカラダの使い方を学ぶ場だ。


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つい先日の働くカラダづくりでは、自分のカラダが変わると触られている相手もすごい楽だということを社員さんに気づいてもらえた。

今の会社は医療職が多くて利用者さんに触れたり介助したりすることがほとんどで、相手がいるときは自分のカラダ次第で相手が感じる感覚も違う。

 

医療職は自分は後回しで人のために尽くすって感覚が強くて、だからこそ相手が楽になるならこれは大切だって思うみたい。

 

他の職種でも、総務さんやデザイナーさんとかもいるし、その人たちももっと楽しく働けるカラダを提供したい。

 

きっかけはなんであれ、僕は働くっていうのは収入に関わらず人が動くことで人生そのでもあると思ってたらするから、それを支えるカラダづくりに興味を持ってくれた人が増えたのは良かったと思うし、本気でそれを支えられるように僕自身もしっかりと取り組もうと断固たる決意をしたわけです。

 

 

 

ただ腰痛をなくすだけじゃ面白くない

昨今、働く環境でみられる腰痛とかの健康状態を良くしようという流れが出てきてる。

 

特に、健康経営®️という概念は中小企業にはまだ浸透していないけど、大企業では当たり前のようになってきた。

(健康経営®️に関しては改めて書くとしよう)

 

僕の職業でもある理学療法士の中でも、「産業リハビリテーション」として企業への予防活動に参入していて、僕自身もそこに食い込もうとしているわけなんだけど、なんとなく

「腰痛いですよねー。腰痛予防しましょう。そしたら仕事の効率も良くなるでしょう。」

では面白くないというか端的すぎるなーと思ってしまう。

(注:この分野で最前線で活躍している方たちはそんなに端的なものでやっているわけではないし、その方達への批難ではありません。)

 

僕の中で『働く』っていうのは人生に直結するものだと考えている。

yoshidacom.hatenablog.com

 

それくらい重要な『働く』だからこそ、「腰痛があるからなくしましょう」ではなく、もっと根本的なところで、腰痛がないのはもちろん、それ以上に「働くために必要なカラダ作りを習慣化しましょう」っていうのにしたい。

 

じゃあ「働くために必要なカラダ」ってなんだってことなんだけど、現時点で僕が考える働くためのカラダに必要な前提条件はこの4つだと思う。

・冷静な判断を持って働けるカラダ

・情熱を持って働けるカラダ

・強い意志を持って働けるカラダ

・外見も内見も良い姿勢で働けるカラダ

 

この4つを持つためには、腰痛とか心身の不調があったら持つことができないし、この4つが備わっていればそもそも心身の不調なんて起きない。

 

「働くためのカラダ」ってしたけど、前の記事にも書いたように、僕の中では収入があるかないかに関わらず人生のすべての時間が『働く』をしていて、今更だけどここでの「働くためのカラダ」っていうのは「人生を楽しむためのカラダ」ってことで、その考えでも、冷静な判断で、情熱があって、強い意志もあって、さらに良い姿勢ってなったらなんか良さそうでしょ。

 

「そんなのカラダ作りでできないよ」っていう人もいるかもしれないけど、実はこれ、カラダ作りとしてできちゃうわけだ。

 

しかも、それにてっぺんはなくて、自分が鍛錬し続ければ極限まで追い求めれちゃう。

そう、まさに極めれちゃうんだ。

 

だから、僕はどうせなら

腰痛をなくしましょう!

じゃなくて、

もっと根本的な極みまでいけちゃうカラダを作ろうよ!

っていうのを届けたいと思っている。

 

『働く=人生』みたいに言っちゃったけど、とりあえずは一般的にいう働いている人に向けてそういうのを発信していこう。

 

 

 

 

 

Bodyline School 〜ゼロから始めるカラダづくり講座〜
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やる気、根性だけを主張して働くのはもう時代遅れ

 

働いていると、一度は言われたことがある、聞いたことがある、もしかしたら言ったこともあるかもしれない言葉。

 

「やる気出せ」

「根性でしのげ」

「死ぬ気でやればできる」

 

的な精神論。

 

まぁ確かに働いていれば美学だけでやっていくのも難しいのは事実で、時には精神論的なもので踏ん張らなきゃいけないときもある。

世の中の働いている人ですごい人は何度もそういう根性みたいなものでやってきた時期もあると思うし、いつも根性でやっているという人もいるだろう。

 

でも、そういう精神論的なものだけで働くのって実際無理で、現代ではそれだけ言うのはもう時代遅れって思うわけです。

 

僕自身、平成生まれなので、ゆとり世代の甘ちゃんが何を言ってるんだと思われるかもしれないが構わない。

というか、僕も働くのを甘くみている人を見るとイラっとする。

 

精神論も大切なのはわかっているけど、精神だけではヒトとして形にならなくて、ヒトとして形になるために、そして精神が入るための器になるものとしてもっと大事なものがある。

 

そう、カラダだ。

 

まず、僕と同世代の若者は、生まれながらにして昔よりも便利な世の中にいる。

車がない世の中も知らないし、大抵は近くにスーパーやコンビニが量産しているし、昔に比べたら随分楽な生活をしていると自負している。

 

要は、昔に比べたら日常的にカラダを使う量が圧倒的に少なく、楽な生活になればなるほど意識しなければカラダの使い方も下手くそになっていくわけだ。

 

何が言いたいのかというと、精神よりも大切なものがカラダであって、そのカラダの使い方が下手くそになっているんだってこと。

つまり、穴の空いた器に何をいれてもないものになるのと同じで、カラダの話をする前に精神論を問うのはどうなのかって話だ。

 

そう考えると、バリバリの経営者や凄腕の営業マンとか、すごい働ける人って、ほとんどの割合でジムとか最近だとボルダリングとかでカラダを動かしていて、逆にカラダを動かしていない人のほうがあーだこーだ言われてる。

 

カラダがしっかりと整うことで、初めて精神論を問えるようになって、そうなってしまえば多少の根性は標準装備として持てる。

 

 

「いや〜カラダづくりが大事なのはわかってるし、でもそうは言っても運動が好きじゃないんだよなー。」

そう思った人は少なくないと思う。

 

しかし、ここで朗報だ。

運動が好きじゃない、苦手な人でも、カラダの使い方が学べる場がある。

 

それがBodyline Schoolだ。

石川県(金沢市)と福井県(福井市敦賀市)で毎月定期的に開催しているこのスクールは、運動が苦手な人やカラダづくりが大切だとわかっていても一人でできない人たちが集まる場だ。

 

なんか働いていても精神論的なことしか言われない、それしか言えないという人がいたら、ぜひ参加してみてほしい。

 

 

気になった人はすぐチェックしよう。

 

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楽しい人生のための『働く』を支えるもの

 

僕なりに感じる『働く』という言葉について。

 

 

『働く』という言葉を聞いてみんなは何を感じるだろう。

 

「楽しい」や「やりがいのあるもの」というポジティブなものもあれば、「辛いけど収入のために仕方なくやっている」、「楽しくない」というネガティブなイメージを浮かべる人もいる。

 

意味合いとしては、【働く=仕事】としてほとんどの人が使っていると思うが、僕はなんとなくこれに違和感を覚える。

 

仕事とは、漢字で表すと「事に仕える」だ。

ニュアンスとしては、与えられたことに従うというようなやらされてる感が否めない。

 

元々の語源は、「しごと」の「し」は動作とか行為とかいう意味を表す「為(す)」の連用形で「ごと」は「事」、つまり「為事(すこと)」=「すること」という意味で使われていたらしく、「すること」=「するべきこと」と同意ということで、徐々に生きていくために「するべきこと」というふうになったらしい。

 

まぁどちらにせよ、「生きるために嫌なことでもやるよ」っという雰囲気が全面に出ている言葉として捉えちゃうわけで、だからこそネガティブなイメージを持っちゃうんだろう。

 

 

じゃあ『働く』もそんな意味なのかってことだ。

 

『働く』は「傍楽(ハタラク)」と書いて、「傍(ハタ)を楽にする」、つまり、「身近な人を楽にする」という意味で表したりする。
良い成り立ちだなーと思っていたけど、これは語源ではなく言葉遊びで作ったらしいからこれだけではちょっと物足りない。

 

てことで、素直に『働く』から改めて考えてみる。

 

漢字の構成としては「人が動く」で『働く』。


さらに、ほとんどが中国から輸入されてきた漢字に対して、国字という日本で作られた漢字もあり、『働く』がまさにその国字で、中国に逆輸入されたらしい。

 

「人が動く」ときは、自分の心が動いたり、誰かのためや社会のために、と思うとき。
まさに日本らしい、日本の心が込もった、国字にふさわしい、おもてなしの漢字が「働く」なのだ。

 

つまり、『働く』は「仕事」とは同義でネガティブなものではなく、日本だからこそ生まれた言葉でありポジティブな要素が根底にある。

 

 

ここで一つ疑問に思う。

こんなに素晴らしい言葉のはずの『働く』がどうして「仕事」と同じ意味合いでネガティブに捉えられているのか。

 

 

それを紐解くために歴史を追ってみた。

 

『働く』という漢字が国字として明記されたのは江戸時代くらいからとどこかに書いてあった。(違ってたら正解を教えて欲しい)

 

江戸時代といえば、今でいう一般の人の農民とかですら、その身体の使い方は現代のトップアスリートくらいだと言われている。

確かに何百㎞も自分たちの足で江戸まで荷物を持って移動していたのだから、負担の少ない効率的な身体の使い方ができていないと無理な話だ。

 

試しにGoogle先生に聞いてみたら、僕が住んでいる石川県から東京まで歩いたら4日かかるんだって。

一回も休まないでこれだから、きっと休みながらだったら1週間くらいかな。

山も超えるしね。

たぶん、石川県を出る前にやめちゃうね。


そんな距離を、江戸時代とかの人たちは、『働く』としてやっちゃってたわけだ。

たぶん家族のためにやらなきゃいけないんだってのもあったと思うけど、だからと言ってやれと言われてできるレベルじゃない。

現代なら「パワハラだ!!」とか言っちゃうレベルだ。

 

それくらいの『働く』なのにやれちゃってたのは、その『働く』を支えることができる効率的な身体の使い方のおかげだったんだと、時代背景からも示されている。

 

 

現代において『働く』ことは人生のほとんどの時間であり、『人が動く』となればそれこそ人生そのもので、言っちゃえば収入が得られるかどうかに限らず、

赤ん坊が泣くことも

園児が外で遊ぶことも

義務教育で学校で勉強することも

部活動で汗を流すことも

好きな人にフラれて泣くことも

友達と飲み潰れることも

上司と部下の板挟みで働くことも

老後に隠居生活することも

生を受けてから命尽きるその瞬間までの全てが『働く』ということ。

 

 

つらつらと能書きを垂れてきたが、要するに何が言いたいのかというと、『働く』ことが人生を楽しくするかどうかを左右しちゃって、その『働く』を支えるのが自分自身の身体の使い方なんじゃないかなって提起したかったわけだ。

 

体験談でもあるんだけど、身体が変わるのってすごい楽しいことなんだよね。

身体の使い方が良くなるといろんなことに前向きになれるし、やらされているだけの仕事も、主体的な『働く』になれる。

 

 

ただ、だからと言って

「身体の使い方が大事ですよ〜。みなさん身体を動かしましょ〜。」

なんて言ってやる人がいないのも知っている。

 

 

 

どうせやるなら、みんなで楽しみながらやりたいし、

あれ?いつのまにか身体が楽になってる

あれ?『働く』のって楽しいじゃん

あれ?人生楽しめてる!

ってなったら最高だなーっと妄想してる。

 

 

 

まだまだほとんどが妄想だけどちょっとずつ始動していて、そういうのを届けたいっていうのが今の率直な想いっていう話でした。

 

 

 

 

 

日記としてブログをリニューアル

今までアメブロでブログを書いてたけど(最近はあまり更新できてなかったけど)、ブログっていうとなんとなく「少し頑張って記事書かなきゃ」って感じがしちゃって、書き手側がそんな感じだと読み手側も大変だなと勝手に思っちゃったわけです。

 

てことで、もっと手軽に、それこそ絵日記みたいな感じにしたら書き手も読み手もいいんじゃないかということでリニューアルしてみた。

 

まぁ絵心ないから絵は描けないんだが…

 

 

とりあえず、カラダのこととか、最近は『働く』ということを少し真剣に考えたりしてて、【カラダ×働く】を大枠とした日記にしてみようと思う。