姿勢と動きのよしだ塾

姿勢と動きをデザインする専門家の発信。体軸、体幹についてわかりやすく学べる場にしていきます。

楽しい人生のための『働く』を支えるもの

 

僕なりに感じる『働く』という言葉について。

 

 

『働く』という言葉を聞いてみんなは何を感じるだろう。

 

「楽しい」や「やりがいのあるもの」というポジティブなものもあれば、「辛いけど収入のために仕方なくやっている」、「楽しくない」というネガティブなイメージを浮かべる人もいる。

 

意味合いとしては、【働く=仕事】としてほとんどの人が使っていると思うが、僕はなんとなくこれに違和感を覚える。

 

仕事とは、漢字で表すと「事に仕える」だ。

ニュアンスとしては、与えられたことに従うというようなやらされてる感が否めない。

 

元々の語源は、「しごと」の「し」は動作とか行為とかいう意味を表す「為(す)」の連用形で「ごと」は「事」、つまり「為事(すこと)」=「すること」という意味で使われていたらしく、「すること」=「するべきこと」と同意ということで、徐々に生きていくために「するべきこと」というふうになったらしい。

 

まぁどちらにせよ、「生きるために嫌なことでもやるよ」っという雰囲気が全面に出ている言葉として捉えちゃうわけで、だからこそネガティブなイメージを持っちゃうんだろう。

 

 

じゃあ『働く』もそんな意味なのかってことだ。

 

『働く』は「傍楽(ハタラク)」と書いて、「傍(ハタ)を楽にする」、つまり、「身近な人を楽にする」という意味で表したりする。
良い成り立ちだなーと思っていたけど、これは語源ではなく言葉遊びで作ったらしいからこれだけではちょっと物足りない。

 

てことで、素直に『働く』から改めて考えてみる。

 

漢字の構成としては「人が動く」で『働く』。


さらに、ほとんどが中国から輸入されてきた漢字に対して、国字という日本で作られた漢字もあり、『働く』がまさにその国字で、中国に逆輸入されたらしい。

 

「人が動く」ときは、自分の心が動いたり、誰かのためや社会のために、と思うとき。
まさに日本らしい、日本の心が込もった、国字にふさわしい、おもてなしの漢字が「働く」なのだ。

 

つまり、『働く』は「仕事」とは同義でネガティブなものではなく、日本だからこそ生まれた言葉でありポジティブな要素が根底にある。

 

 

ここで一つ疑問に思う。

こんなに素晴らしい言葉のはずの『働く』がどうして「仕事」と同じ意味合いでネガティブに捉えられているのか。

 

 

それを紐解くために歴史を追ってみた。

 

『働く』という漢字が国字として明記されたのは江戸時代くらいからとどこかに書いてあった。(違ってたら正解を教えて欲しい)

 

江戸時代といえば、今でいう一般の人の農民とかですら、その身体の使い方は現代のトップアスリートくらいだと言われている。

確かに何百㎞も自分たちの足で江戸まで荷物を持って移動していたのだから、負担の少ない効率的な身体の使い方ができていないと無理な話だ。

 

試しにGoogle先生に聞いてみたら、僕が住んでいる石川県から東京まで歩いたら4日かかるんだって。

一回も休まないでこれだから、きっと休みながらだったら1週間くらいかな。

山も超えるしね。

たぶん、石川県を出る前にやめちゃうね。


そんな距離を、江戸時代とかの人たちは、『働く』としてやっちゃってたわけだ。

たぶん家族のためにやらなきゃいけないんだってのもあったと思うけど、だからと言ってやれと言われてできるレベルじゃない。

現代なら「パワハラだ!!」とか言っちゃうレベルだ。

 

それくらいの『働く』なのにやれちゃってたのは、その『働く』を支えることができる効率的な身体の使い方のおかげだったんだと、時代背景からも示されている。

 

 

現代において『働く』ことは人生のほとんどの時間であり、『人が動く』となればそれこそ人生そのもので、言っちゃえば収入が得られるかどうかに限らず、

赤ん坊が泣くことも

園児が外で遊ぶことも

義務教育で学校で勉強することも

部活動で汗を流すことも

好きな人にフラれて泣くことも

友達と飲み潰れることも

上司と部下の板挟みで働くことも

老後に隠居生活することも

生を受けてから命尽きるその瞬間までの全てが『働く』ということ。

 

 

つらつらと能書きを垂れてきたが、要するに何が言いたいのかというと、『働く』ことが人生を楽しくするかどうかを左右しちゃって、その『働く』を支えるのが自分自身の身体の使い方なんじゃないかなって提起したかったわけだ。

 

体験談でもあるんだけど、身体が変わるのってすごい楽しいことなんだよね。

身体の使い方が良くなるといろんなことに前向きになれるし、やらされているだけの仕事も、主体的な『働く』になれる。

 

 

ただ、だからと言って

「身体の使い方が大事ですよ〜。みなさん身体を動かしましょ〜。」

なんて言ってやる人がいないのも知っている。

 

 

 

どうせやるなら、みんなで楽しみながらやりたいし、

あれ?いつのまにか身体が楽になってる

あれ?『働く』のって楽しいじゃん

あれ?人生楽しめてる!

ってなったら最高だなーっと妄想してる。

 

 

 

まだまだほとんどが妄想だけどちょっとずつ始動していて、そういうのを届けたいっていうのが今の率直な想いっていう話でした。